2008年6月27日金曜日

生前の俳句発見!!

『男はつらいよ』の寅さんこと渥美清さんが生前に詠んだ俳句が
見つかったようです!!

173句もの俳句が新たに見つかったんだそうです。


渥美清さんは人気俳優でありながらプライベートな話は一切、
公けにしなかった事で知られています。
松竹の関係者さへ自宅の住所すら知らなかったとの話をどこか
で聞いたことがあります。

その渥美清さんが詠んだ俳句が発見されたと言うことは
渥美清さんのプライベートが少しはわかるかも?って事ですね。

俳句を発掘したのは、コラムニストの森英介さんで

発見された俳句からはその心情が生き生きと伝わってくるそうで
「喜劇人のイメージがありますが、
俳句には孤独や寂しさをうたったものが多い」と森さんは言ってます。

そもそもは
長野県小諸市の「渥美清こもろ寅さん会館」で紹介されていた
句の出所が不明で、調べてみたところ、73年から76年にかけて、
雑誌編集長が主宰する句会に渥美清さんが参加していたことが判明し、
その事務局の記録から渥美さん作の135句が見つかった。 

とのことらしいのですが、

スクリーンの中でファンを充分に楽しませた渥美清さんの生前の生き方を
尊重して、今になってプライベートなことを掘り返すことに私的には少し
抵抗がありますがそこは『昭和の大スター渥美清の私的な俳句発見!!』
でニュースになるのは仕方ありませんね。

十三回忌を前にファンにとっても昭和の芸能史にとっても
貴重な資料となりそうですね。    公開が楽しみです。

2008年5月27日火曜日

『男はつらいよ』が今年で40年目を迎えます!!

そこで寅さん映画の松竹がイベントを開催します!!
【『男はつらいよ』誕生40周年プロジェクト】です。

5月26日には松竹本社にて『男はつらいよ!誕生40周年プロジェクト』の
イベント発表会が行われました。

もちろん、山田洋次監督、倍賞千恵子さんらが出席してイベントを
盛り上げましたよ。

このプロジェクト発表会イベントでは
渥美清さんの13回忌として、7月26日に長野県小諸の『渥美清こもろ寅さん会館』
にて法要が営まれること。
東京でも『葛飾柴又・寅さん記念館』にて8月2日に献花式が営まれることとなった
ことを発表しました。

また、
インターネットでは『松竹ONLINE』が5月30日から毎週金曜日に『男はつらいよ』
1作から10作までをネット独占配信すると発表。 初の試みなんだそうです!!

イベント発表会で山田洋次監督は
「渥美清という人は比較する人がいないくらいの俳優。表現力が豊かで、
 記憶力抜群で、何よりも頭がいい。クールな頭脳の持ち主でした。
 この人がいたから長く続いたんじゃないかなあ」と考え深げに懐古し、
 戦後の日本を代表する偉大な喜劇役者に改めて敬意を表していた。

倍賞千恵子さんも映画『男はつらいよ』について
「ずーっと見ているうちに、いろんな発見があるんです。暮らし、ファッション、
 人間性、風景などいろんなものが散りばめられている玉手箱みたい」
 と振り返っていました。


これは寅さんファンには嬉しいニュースですよね。
『松竹ONLINE』もチェックしてくださいね。

『松竹ONLINE』

2007年6月12日火曜日

山田洋次監督


映画『男はつらいよ』の監督は山田洋次監督です。
渥美清がいなければ“寅さん”もいないといえるでしょう。
山田洋次監督が撮らなければ“男はつらいよ”もなっかたのではと思います。
『男はつらいよ』をここまで大ヒット映画に作り上げた山田洋次監督には、
「映画というものはひたすら、それを見る人の幸せを願ってつくらなければならない。」
こんな心情をもって毎回『男はつらいよ』を撮っていたと聞きました。
山田洋次監督を慕う“山田組”という映画製作集団があるともいいます。
スタッフ、役者が一団となり、
“良い映画をつくる”との信念の為の団結力たるやもの凄いと聞きます。

渥美清をはじめ役者、スタッフ、山田洋次監督の団結力あっての
映画『男はつらいよ』なんですね。
渥美清が亡くなった時に人気シリーズ継続を望む声にも
あえて・・・
「寅さん映画はこれで終わりです。」とキッパリ言い切ったそうです。
渥美清と山田洋次監督の信頼関係がよく理解できます。



~山田洋次監督とは~

山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家、関西大学大学院客員教授。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。以降、『男はつらいよ』シリーズをはじめとする膨大な数の人情劇を、実に精力的に発表し、絶大な大衆的人気を誇る。中国などでも、俳優・高倉健とともに日本映画界の第一人者としてよく知られている。日本共産党を強く支持している。いわさきちひろ美術館理事。

作風は、落語等の影響を受けており、主に人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスに溢れたものである。奇を衒った様な映像、性的描写や暴力表現等、安易に人目を惹く様な表現は抑制し、一般人や社会の逸れ者のささやかな日常生活に潜む喜びと哀しみを丹念に描く。

日本で最も人気のある映画監督の一人だが、一部の評論家や、他の映画監督・演出家等には新鮮な映像手法や凝ったストーリー性に欠けると言われる。蜷川幸雄などのアンチも多い。

来歴
1931年、大阪府豊中市生まれ。満州鉄道のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。終戦後の1947年、大連から一家で日本に引き揚げ、15歳から18歳までを山口県宇部市の伯母の持ち家で過ごした。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響している。

旧制宇部中(現在の山口県立宇部高等学校)を経て旧制山口高等学校(現在の山口大学)在学中に学制改革を経験。新制の東京都立小山台高等学校から東京大学法学部に入学。怠学による出席日数不足で中退するつもりであったが、1954年に東京大学を卒業して、松竹に入社する。野村芳太郎作品の脚本家・助監督を務めた。1961年、『二階の他人』で監督としてデビューした。

大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人が松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた時代にあって、山田は地味な存在であった。ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立して行く中、松竹大船調路線の後継者として『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』等のコメディを中心とした作品で企業内監督の道を歩む。

1969年、『男はつらいよ』を発表。その後27年間に全48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、甥の満男を主役としたサブストーリーが作られ、さらに渥美の病状が深刻になってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らす決断をするが松竹の経営事情などにより映画の制作は続けられた。第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演して貰ったものである。1996年8月13日、「寅さんとのお別れの会」で弔辞を読んだ。渥美の死去によって男はつらいよシリーズを失った4年後には大船撮影所が閉鎖され、監督としてメガホンを取る機会も減ってしまった。

大船撮影所が閉鎖されるまで、松竹の経営を支え続けた。

2002年、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。山田にとって、『運がよけりゃ』に続く2度目の時代劇であり、藤沢作品を初映画化したものであった。他の時代劇では無視され続けてきた“位の低い”武士の苦悩を描いた物語である。構想に10年を掛け時代考証に徹底して拘った。登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずが無いから、剃った部分に髪が生えてくる等の実に細かい部分をリアルに丹念に描いた。新鮮な時代劇と話題を呼び大ヒットとなった。真田広之と宮沢りえの演技力もあって、出色の時代劇と評価され、日本の映画各賞を独占した。1990年代後半以降低迷していた宮沢の見事な復活作ともなった。

2003年2月、第57回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品される。2004年、「第76回アカデミー賞外国語映画賞」の候補になったが受賞はならず。同年、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表し、またもベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品される。

2006年9月、大相撲横綱審議委員の山田は、「部員不足解消に役立つなら」と、OBである東京大学相撲部の名誉顧問となった。京都大学との交流戦を観戦し、「初心者にしか見えない学生が鼻血を出しながら立ち向かう姿が愛しい」と興奮した。

2007年は自身の監督作『幸福の黄色いハンカチ』がハリウッドでリメイクされる事が決定。高倉健の演じた主人公はオスカー俳優・ウィリアム・ハートが演じる。


学歴
旧制宇部中学校(現在の山口県立宇部高等学校)卒業
旧制山口高等学校に学制改革のため1年間のみ在学の後、東京都立小山台高等学校卒業
東京大学法学部卒業

受賞歴
日本アカデミー賞監督賞(第1回、第15回、第17回、第26回)
菊池寛賞
芸術選奨文部大臣賞
日本映画復興賞
ブルーリボン賞監督賞
毎日映画コンクール監督賞
毎日芸術賞
山路ふみ子映画賞
紫綬褒章(1996年)
文化功労者(2004年)

主な作品
「男はつらいよ」シリーズ(全48作、1969年~1995年)
「釣りバカ日誌」シリーズ(1988年~) 脚本のみ
「下町の太陽」(1963年)
「馬鹿まるだし」(1964年)
「馬鹿が戦車でやってくる」(1964年)
「なつかしい風来坊」(1966年)
「吹けば飛ぶよな男だが」(1968年)
「家族」(1970年)
「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)
「遥かなる山の呼び声」(1980年)
「キネマの天地」(1986年)
「ダウンタウン・ヒーローズ」(1988年) ベルリン映画祭コンペティション
「息子」(1991年)
「学校」(1993年)
「虹をつかむ男」(1996年)
「学校II」(1996年)
「虹をつかむ男 南国奮斗篇」(1997年)
「学校III」(1998年)
「十五才 学校IV」(2000年)
「たそがれ清兵衛」(2002年) 米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ベルリン映画祭コンペティション、ハワイ映画祭グランプリ、香港電影金像奨アジア映画賞
「隠し剣 鬼の爪」(2004年) ベルリン映画祭コンペティション、イスタンブール映画祭グランプリ
「祖国」(2005年) 原作・脚本のみ
「出口のない海」(2006年) 脚本のみ
「武士の一分」(2006年) ベルリン映画祭招待作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Amazonより画像引用:山田洋次 全仕事 ぴあ出版社 

2007年5月19日土曜日


映画『男はつらいよ』において、
“寅さん”の妹“さくら”の存在は大きい。
“さくら”のような妹がほしいなぁと“寅さん”ファンならだれもが
思うのではないだろうか・・・
寅さんとは似ても似つかない容姿は腹違いの兄妹との設定を引き
立たせ微笑ましい。
映画『男はつらいよ』シリーズでの倍賞千恵子、演じる“さくら”の
兄を慕う気もち、この世でただひとりの兄“寅次郎”を思う気もち、
誰よりも兄“寅”を愛す姿には毎回毎回涙を抑えきれなくなる。
寅さんファン以上に“さくら”ファンがいることは間違いないだろう。

そんな“さくら”と“寅さん”の絡みも
映画『男はつらいよ』に無くてはならないことに異存はなかろう。


※さくら

車寅次郎の妹。母親が違う兄妹だが、母はさくらが子供のころに死去。
高校卒業後ビジネスガール(今ならOLか?)として働く。諏訪博と結婚ののち満男が生まれる。
“とらや”の看板娘?として柴又ファミリーと“寅さん”の間にはさまれ心労は絶えないが
明るく心やさしい女性だ。

※倍賞千恵子とは

倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年6月29日 - )は、
日本の女優、歌手。愛称は「ちえちゃん」。倍賞美津子は実妹。
弟は猪木事務所社長の倍賞鉄夫。夫は作曲家の小六禮次郎。

来歴・人物

東京都生まれ。1960年松竹音楽舞踊学校を首席で卒業後、松竹歌劇団(SKD)に入団。
1961年、松竹にスカウトされ『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。
1963年、山田洋次監督の映画「下町の太陽」に主演し、以降、
山田映画に欠かせない庶民派女優となる。「下町の太陽」は映画・歌だけでなく
、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。
映画『男はつらいよ』シリーズで、渥美清演じる主人公車寅次郎の妹、さくら役で人気を博す。
1996年8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では「桜のバラード」を歌った。

1980年の山田洋次監督作品『遥かなる山の呼び声』で日本アカデミー賞、
毎日映画コンクールの主演女優賞を、
1981年の降旗康男監督の東宝映画『駅 STATION』でキネマ旬報賞、
毎日映画コンクールの主演女優賞を受賞。
2004年には、宮崎駿監督の映画『ハウルの動く城』で、
ヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。

『下町の太陽』の主題歌で歌手としてもデビューし、
日本レコード大賞新人賞を受賞。紅白歌合戦にも出場。歌手としても活躍している。



出演

【映画】
斑女(1961年)
二人で歩いた幾春秋(1962年)
泣いて笑った花嫁(1962年)
下町の太陽(1963年)
霧の旗(1965年)
さよならはダンスの後に(1965年)
なつかしい風来坊(1966年)
暖流(1966年)
白昼堂々(1968年)
男はつらいよシリーズ(1969年~1995年)
家族(1970年)
あゝ声なき友(1972年)
故郷(1972年)
同胞(1975年)
幸福の黄色いハンカチ(1977年)
遥かなる山の呼び声(1980年)
駅 STATION(1981年)
刑事物語2 りんごの詩(1983年)
植村直己物語(1986年)
離婚しない女(1986年)
隠し剣 鬼の爪(2004年)
この胸いっぱいの愛を(2005年)

【アニメ】
機動戦士ガンダム(1981年)カマリア・レイ
ユニコ(1981年)西風
ジャングル大帝(1997年)ライヤ
蓮如物語 Rennyo(1998年)蓮如の母
ハウルの動く城(2004年)ソフィー

【ドラマ】 
すずらん(1999年、NHK朝の連続テレビ小説) - 日高萌役(老年期・ナレーション)
奇跡の動物園~旭山動物園物語~(2006年5月13日、フジテレビ系) - 桜崎笙子役
華麗なる一族(2007年・TBS)(ナレーションを担当)

出典:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


今や倍賞千恵子さんは日本を代表する活躍の女優さんですが、
代表作、役は『男はつらいよ』の“さくら”で間違いないでしょう。
個人的には倍賞千恵子のマドンナ役も見てみたかったなぁ~。
“寅さん”タジタジだっただろうなぁ~。笑。

Amazonより画像引用:
GOLDEN☆BESTまるで映画のひとこまのように・・・(Sony Music Direct)

2007年5月16日水曜日

シリーズ全48作品+特別編


映画『男はつらいよ』シリーズ48作品と特別編です。

『男はつらいよ』は何度みても泣き笑い・・・・
どの話もみるたびに新たな気づきがありますよね。
『男はつらいよ』を好きな人は
それぞれの話に思い入れがありますよね。
あの回の“寅さん”は最高だ!!
あの話の“寅さん”が一番だ!!
マドンナなら~~が良い!!
“さくら”ク~ッ、泣かせるねぇ。

あの話、この話、思い出してみてください。



第1話
『男はつらいよ』 1969年8月公開 
マドンナ=光本幸子 ロケ地=京都府、奈良県

第2話
『続。男はつらいよい』 1969年11月公開 
マドンナ=佐藤オリエ  ロケ地=京都府、三重県

第3話
『男はつらいよ フーテンの寅』 1970年1月公開 
マドンナ=新珠三千代  ロケ地=三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島)

第4話
『新・男はつらいよ』1970年2月公開 
マドンナ=栗原小巻  ロケ地=葛飾柴又、名古屋市

第5話
『男はつらいよ 望郷篇』 1970年8月公開 
マドンナ=長山藍子  ロケ地=千葉県(浦安市)、北海道(札幌市、小樽市)

第6話
『男はつらいよ 純情篇』1971年1月 公開 
マドンナ=若尾文子  ロケ地=長崎県(五島列島)

第7話
『男はつらいよ 奮闘篇』1971年4月 公開 
マドンナ=榊原るみ  ロケ地=新潟県(越後広瀬)、沼津市、青森県

第8話
『男はつらいよ 寅次郎恋歌』 1971年12月公開
マドンナ=池内淳子  ロケ地=岡山県(備中高梁)

第9話
『男はつらいよ 柴又慕情』1972年8月 公開 
マドンナ=吉永小百合  ロケ地=金沢市、福井県(東尋坊)

第10話
『男はつらいよ 寅次郎夢枕』1970年12月公開 
マドンナ=八千草薫  ロケ地=山梨県(甲府市)、長野県(奈良井)

第11話
『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』 1973年8月公開 
マドンナ=浅丘ルリ子  ロケ地=北海道(網走)

第12話
『男はつらいよ 私の寅さん』1973年12月公開 
マドンナ=岸惠子  ロケ地=熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府)

第13話
『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』 1974年8月公開 
マドンナ=吉永小百合  ロケ地=島根県(津和野、温泉津)

第14話
『男はつらいよ 寅次郎子守唄』1974年12月 公開 
マドンナ=十朱幸代  ロケ地:佐賀県(唐津市)、群馬県(磯部温泉)

第15話
『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』 1975年8月公開 
マドンナ=浅丘ルリ子  ロケ地=青森市、函館市、長万部町、札幌市、小樽市

第16話
『男はつらいよ 葛飾立志篇』1975年12月公開 
マドンナ=樫山文枝  ロケ地=山形県(寒河江市)、静岡県

第17話
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け(仮タイトルは「男はつらいよ 柴又の伊達男」)』
1976年7月公開  マドンナ=太地喜和子  ロケ地=兵庫県(龍野市)

第18話
『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』1976年12月公開 
マドンナ=京マチ子  ロケ地=長野県(別所温泉)、新潟県(六日町)

第19話
『男はつらいよ 寅次郎と殿様』1977年8月公開 
マドンナ=真野響子  ロケ地=愛媛県(大洲市)

第20話
『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』1977年12月 公開 
マドンナ=藤村志保  ロケ地=長崎県(平戸島)

第21話
『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』1978年8月公開
マドンナ=木の実ナナ  ロケ地=熊本県(阿蘇)

第22話
『男はつらいよ 噂の寅次郎』1978年12月公開 
マドンナ=大原麗子  ロケ地=長野県(木曽福島)、静岡県(大井川)

第23話
『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』1979年8月公開 
マドンナ=桃井かおり  ロケ地=北海道(支笏湖)

第24話
『男はつらいよ 寅次郎春の夢』1979年12月公開 
マドンナ=香川京子  ロケ地=和歌山県、京都府、アメリカ(アリゾナ州)

第25話
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』 1980年8月公開 
マドンナ=浅丘ルリ子  ロケ地=沖縄県、長野県(軽井沢)

第26話
『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』1980年12月公開
マドンナ=伊藤蘭  ロケ地=北海道(奥尻島・江差町)、徳島県

第27話
『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』1981年8月公開 
マドンナ=松坂慶子  ロケ地=大阪府、奈良県、瀬戸内、対馬

第28話
『男はつらいよ 寅次郎紙風船』1981年12月公開 
マドンナ=音無美紀子  ロケ地=福岡県(秋月)、大分県(夜明)、静岡県

第29話
『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』1982年8月公開  
マドンナ=いしだあゆみ  ロケ地=京都府(伊根)、信濃大町、鎌倉市、彦根市

第30話
『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』 1982年12月公開 
マドンナ=田中裕子  ロケ地=大分県(湯平温泉、別府鉄輪温泉、湯布院)

第31話
『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』1983年8月公開 
マドンナ=都はるみ  ロケ地=佐渡市、新潟市、支笏湖

第32話
『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』1983年12月公開 
マドンナ=竹下景子  ロケ地=岡山県(備中高梁)、広島県(因島)

第33話
『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』1984年8月公開 
マドンナ=中原理恵  ロケ地=岩手県(盛岡市)、北海道(釧路市、根室市)

第34話
『男はつらいよ 寅次郎真実一路』1984年12月公開 
マドンナ=大原麗子  ロケ地=鹿児島県(枕崎市・指宿市)、牛久沼

第35話
『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』1985年8月公開 
マドンナ=樋口可南子  ロケ地=長崎県(上五島)、天草市、秋田県(鹿角市)

第36話
『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』 1985年12月公開 
マドンナ=栗原小巻  ロケ地=下田、式根島、浜名湖、会津若松市

第37話
『男はつらいよ 幸福の青い鳥』1986年12月公開  
マドンナ=志穂美悦子  ロケ地=福岡県(筑豊)、萩市(山口県)

第38話
『男はつらいよ 知床慕情』1987年8月公開
マドンナ=竹下景子  ロケ地=北海道(斜里町)

第39話
『男はつらいよ 寅次郎物語』1987年12月公開  
マドンナ=秋吉久美子  ロケ地=奈良県、和歌山県、三重県(伊勢志摩)

第40話
『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』1988年12月公開 
マドンナ=三田佳子  ロケ地=長野県(小諸市、松本市)、長崎県(島原市)

第41話
『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』1989年8月公開
マドンナ=竹下景子  ロケ地=オーストリア(ウィーン)、松島、石川県

第42話
『男はつらいよ ぼくの伯父さん』1989年12月公開  
マドンナ=後藤久美子  ロケ地=佐賀県(古湯温泉、吉野ヶ里)、茨城県

第43話
『男はつらいよ 寅次郎の休日』1990年12月公開 
マドンナ=夏木マリ、後藤久美子  ロケ地=大分県(日田市)、名古屋市

第44話
『男はつらいよ 寅次郎の告白』1991年12月公開  
マドンナ=吉田日出子、後藤久美子  ロケ地=鳥取県、(奥恵那峡・蛭川)

第45話
『男はつらいよ 寅次郎の青春』1992年12月公開  
マドンナ=風吹ジュン、後藤久美子  ロケ地=宮崎県、岐阜県(下呂温泉)

第46話
『男はつらいよ 寅次郎の縁談』1993年12月公開 
マドンナ=松坂慶子  ロケ地=香川県(琴平・志々島・高見島)、栃木県(烏山)

第47話
『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』 1994年12月公開 
マドンナ=かたせ梨乃  ロケ地=新潟県(上越市)、滋賀県(長浜)、長崎県

第48話
『男はつらいよ 寅次郎紅の花』1995年12月公開 
マドンナ=浅丘ルリ子  ロケ地=鹿児島県(奄美大島)、岡山県、神戸市


【第49話 特別編】
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』1997年12月公開  
マドンナ=浅丘ルリ子  ロケ地=沖縄県


『男はつらいよ』寅さんの笑顔を思い出します。

Amazonより画像引用: DVD「男はつらいよ」第1話 松竹